海辺に置いてきたものたち

神谷の文字置き場

誰かの願いが叶うころ

 

憂いや絶望って

なぜか私の創作意欲となる。

 

悲しい時こそ

身を削ってその生き血で

作品を生み出せてしまう。

 

燃え盛るエネルギーの切れ端が

吐き出すように体内から

私の一部として、作品として

消化されるサイクルがある。

 

だから、

わたしは悲しいことがあっても

作品を生み出すことで、

生を続けることが出来る。

 

また、

わたしから生み出された

私の一部もまた、

作品となることで生を受けることになる。

 

絶望は糧だ。

だからわたしが生み出すものは

哀愁、憂鬱、切なさ、哀しみ

すべて綯い交ぜになっている。

 

わたしの一部を

受け入れてくれるということは

わたしの絶望を受け入れるということ。

こんな形で成仏させるわたしのかけらを

許容し、

愛してくれるということに等しい。

 

それが何よりわたしは幸福で

他人に幸福を委ねている

わたしの未熟な部分。

 

それでもわたしを

受け入れてくれる人がいる限り

わたしは絶望と対峙し

向き合って行こうと思える。

わたしは幸福だな、

最近は、割と真剣に

幸福だ。

 

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誰かの願いが叶うころ / 宇多田ヒカル

 

私の人生を支える

曲たちの一部

 

「みんなに必要とされる君を癒せる

たった一人になりたくて少し我慢しすぎたな」

 

この歌詞に全てを砕かれた。

誰かに必要とされることに

固執している人生だから、

わたしは他人がいないと

生きていけない。

 

結局は自分のために

他人を想っている。

人間なんて

そんなものかもしれないけど

自分のエゴの大きさに時々

ガッカリする。

 

「自分の幸せ願うこと

わがままではないでしょ

それならあなたを抱きしめたい

できるだけぎゅっと」

 

それでも、この歌詞で

自分のためにも誰かを愛して

包み込んでもいいのだと

肯定されたような気がした。

 

自分のために、

誰かのために生きていいのだと

許されたような気がした。

 

わたしは感情が人より大きく

振れ幅も広い自覚がある。

だから、相手に抱く感情も

とてつもなくデカい。

自分を守るための愛を

相手から引き出そうと

愛を与えるくせがある。

 

そんなわたしの愛を

受け止めてくれることが

わたしへの最大の肯定で

それだけで満たされるんだ。

 

今は、

器の大きな人達が

私の周りにはいるので

器を壊す心配をしなくても

大丈夫という安心感、信頼。

絶対に守っていきたい。

 

私の大切な宝物だな

 

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