私のこと
今日はちょっと長いよ
ブログをかくのがこんなに億劫になるほど
私の生活は多忙になった
職も変わり生活リズムが変わり
環境も変わり、バンドも変化している
心は順応しているつもりが
体と脳はそうではないみたいで
幼少期からの自身の問題と
真正面から向き合うことになってしまった
結論から言うと、私は発達障害だった
最近よく耳にする「ADHD」というやつだ
ADHDと言う名前を知ったのは
大学生の頃で
あの時も地獄を見ていたので
自分がなぜみんなのように
常識のある人間でいられないのか
必死に調べてたどり着いた結果だった
幼い頃から人と「普通」でいられなかった
宿題が出せたことはほとんどない
毎日遅刻寸前で、忘れっぽくて
空気が読めないと言われるほどおしゃべりで
片付けが苦手で、めんどくさがりで
あげたらキリがないくらい
できないことがたくさんあった
そんなのみんなできないよ、
と幼少期を知らない人間はそう言うけど
度が過ぎているのだ。
逆にみんなよりできることもあった
過剰な集中力と多方面への興味
ADHDによって手にした無意識の努力で
私の音楽人生は成り立っている
ピアノはその最たる例だ
ピアノ教室に通うお金もない貧乏家庭で育った私が
独学で手に入れた唯一無二の才能である
これは家庭環境もあるが、明らかにADHDの特性で
得られたものだと今は断定できる
こうやってADHDに苦しめられ助けられた
私の人生は、2週間ほど前から
改革を始めた
そもそも、私はADHDの「グレーゾーン」だと
自分で思い込んでいた。
グレーゾーンとは、診断は降りないけど
その気があって困っている人のことだ
発達障害に境界はない
誰しも持っている特性の程度で
判断されるものである
(ただし、定型発達の人と比べると
脳の仕組みは明らかに違うが)
それがどうやら主治医曰く
「キツめのADHD」出そうだ
正直かなりショックを受けた
叩き出してしまった
悲しいと言う感情ではなく
もっと複雑な感情から心が苦しみに悶えた
今までの人生で理解されず怠惰な人間としてみられていた悲しみ
名前をつけてしまったことで本当に普通の人になれなくなった辛さ
自分自身の理解度が深まった喜び
できないことを見ないようにしてたのに直視させられたこと
あげたらキリがないくらい
自分の感情に戸惑ってしまった
自分の心がこんなにも脆いとは
思わなかったよ
私は発達障害だからといって
「できないことをできるように努力する」ことを
怠ってはいけないと思っている
できないからと言って
それではご飯は食べられない
できないからと言って
人に迷惑をかけていい理由にはならない
生きていくには、できなくても
やらなければいけないことがたくさんある
この信念が自分に一気にのしかかって
診断直後の1週間あたりは
結構落ち込んだ 実はね
しかも、「私は発達障害です」
と言い放ったその瞬間から
相手はわたしに「気を遣わないといけない」
と言う状態にしてしまうのだ
こう思わせてしまったら、私はもう生きていけないのだ
私が何かをできないことで
他人が配慮しなければいけない道理は
これっぽっちもあってはいけない
診断前の自分に今の自分を見せてあげたい
こんなに自分で自分の首を絞めている
滑稽な人間はそういない
それでも病院に行くと
決意したことを後悔はしていない
誰かに迷惑をかけたくない
できないことをできるようにしたい
と思って決断した自分を大切にしてあげたい
そのおかげで、
今は薬による治療を始めることができた
低容量から始めているので劇的には変化しないが
服薬から2週間と少したった今、
徐々にだが効果を感じ始めている
集中できなさすぎて
貧乏ゆすりしまくり周りの音がうるさく聞こえて
イライラして泣きかけてた仕事も
ここ数日は割とスッキリとした脳で
集中することができている
起きる時間も少しずつ早くなっているし
家事もほんの少しずつだけど
できるようになってきた兆候がある
代償に、あまりおしゃべりが弾まなかったり
副作用により気分が沈んだりしてしまうこともあるが
微弱ながら憧れていた「普通の暮らし」に近づいていて
本当に病院に行ってよかったと思っている
まだまだ死んでいた頃に残した負の遺産は
精算できていないけれど、
自分自身にストレスを溜めずに生きていける人生を
手にしたいと思っている
こんなところにこんな文章を書いたところで
誰の得にもならない、むしろ損かもしれないけれど
私は私という人間に誇りを持って生きていきたい
だから書き留めさせて戴きます
大丈夫、病んでないよ、元気です
前向きに生きていこう 頑張ろう
こんな何が言いたいのかわからない
話が前後左右して読みにくい文を
いつも読んでくださる方
本当にありがとう