海辺に置いてきたものたち

神谷の文字置き場

最近のこと

 

ブログを書くのが

かなり久しぶりになってしまった。

 

しばらく、自分の声と

向き合う時間を避けていたように

感じている。

 

仕事を辞めるまで

目まぐるしくすぎる毎日で

仕事を辞めてからも

自分の心と向き合うことが

格段に増え

色々な意味で疲労を感じるようになった。

 

結局何をしても多少は疲れるので

どうせなら働いた方が

私はあっているんだなって認識できた

そんな無職期間でした。

 

12月からまた労働者になるわけですが

そんなことはさておき

人生について最近は色々考える。

 

今年は色々なターニングポイントを

自分で掴み取ったり、縁に恵まれたり

右折左折することがあった年だなって

思います。

 

ふと立ち止まると

過去の自分が鮮明に見える時がある。

 

ほんの少しだけ人と違う環境で

育ったおかげか、

それが原因で苦しんだり

はたまた何故か恩恵を受けたり

それでも、自分の意思では

融通の効かない状況を

死ぬほど憎んだ時期があって

価値観が歪んだり、他人に対して

大きな負の感情が芽生えたり

したことを思い出す。

 

 

今は自分がやりたいことを

自分の力で、自分の意思で

出来ていて、満足しているからか

過去の自分のような

負の連鎖には陥らないし

それを他人に理解されたいとも

思わなくなった。

話すことを我慢しているわけでも

はたまた隠している訳でもない。

単なる過去の事実であって

それ以上でもそれ以下でもない。

 

これって私の中で革命で、

ずっとずっと

「誰かに理解されたい」

「辛かったねって言って欲しい」

「頑張ったね、えらいねって言って欲しい」

そんな思いがあったけど

どこかへ消え去ってしまった。

 

音楽に救いを求めていたけれど、

今は違う。

 

今現在、私の中の音楽とは

私の人生を豊かにする響き

そんな感じだね。

 

音楽に嘘偽りない

真っ直ぐな気持ちで接せられることに

喜びを感じているよ。

 

 

音楽をツールとして扱いたくない

ずっとそう思ってきた。

たくさん音楽を知っている、

それだけの事が自己表現でありたくないし、

自分の聴く音楽以外を否定するなんて

もってのほか。

批評はあっても否定は存在してはならない。

 

音楽を作る側としては、

音楽に多くのことを求めない、

今はこれを意識するようにしている。

音楽を発信したその先を見すぎてしまうと

本来の自分の楽しみを見失う、

そんな気がしてならない。

 

こんな考えになったのも

全て今自分を取り巻く環境の影響だと思ってる。

過去は変えられないけど

未来は変えられる。

自分を信じてこれからも

生きていきたいね、

頑張れ神谷、

頑張ろうね、Blurred City Lights

 

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